久しぶりの投稿になってしまい、大いに反省している
だいいが(@dayga15)です。
ここ最近の私は、転職の準備をしたり、子供が産まれたりと
とにかくバタバタしてる毎日を送っていました。
と同時に、心のモヤモヤしたり、悶々としたりと落ち着かない状態が続いていました。
個人的には現状についてはあまり深刻にも深くも考えていないのですが
周りの意見に流されてしまっている
ダメな自分がいることなーと思うことが多くありました。
どうにかこの悶々とした流れを変えたい
そんな時、今の流れを変えたいと考えるときに私がやることがあります。
それは、
これまでと違ったことをやってみる
です。
今回は以前より興味のあった、坐禅を体験してきました。
行ってみたいけど、どんなものなんだろう?
全くわからないけど、参加しても大丈夫なのかな・・・
と迷っている方の参考になれば嬉しいです。
坐禅ってどうなのよ?難しい?
私も最初これを一番に考えました。
坐禅なんてしなことないですし、そもそも坐禅ってどうやるのかもわかりませんでした。
なんとなく胡座をして、、、くらいで
難しいのかな?
素人がいっても大丈夫なのかな?
いろいろ不安しかありませんでした。
そんな状況なのでなんで行ったか?
それは、
興味があった
それだけです。
自分の興味に忠実に行動をしてみました。
難しいのかなとも思いましたが、正直今回参加したところは丁寧に教えてもらいましたし、
冊子もありましたので、私みたいな素人にも取っつきやすかったです。
無料で体験をさせてくれるところもあったりします。
また、朝だけでなく、夜、日中、様々な形で体験できる場を提供してくれています。
坐禅の流れ
今回私が参加した坐禅は、「朝座」と呼ばれる、朝に行う坐禅です。
私が今回行ったところでは、その他、夜やる坐禅「夜座」というものもあります。
また、宿泊して一日修行しているお坊さんと同様の生活を体験するものもあります。
※どういうプランがあるかは、各施設によって違うようです。
私は「朝坐」に参加しました。
タイムスケジュールはこんな感じでした。
受付を済ませて、7:00から坐禅スタート。
初心者の方が私以外にもいたので、一通り流れを説明してもらいながら、坐禅の準備をします。
15〜20分くらいの坐禅を2セット行いました。
正直、携帯も時計も手元になかったので
時間の感覚が全くなく、精神と時の部屋にいる感じでした笑
終わったあとには、朝粥膳をいただきました。
食事前に五観の偈と言われる唱える偈文を唱えます。
ちなみに五観の偈とは
五観の偈(ごかんのげ)は、主に禅宗において食事の前に唱えられる偈文。 唐代の南山律宗の僧、道宣が著した『四分律行事鈔』中の観文を宋代に黄庭堅が僧俗のため約したもの。 道元の著作『赴粥飯法』における引用によって日本で広く知られるようになった。
五観の偈 – Wikipedia
いろいろ写真を撮ったりもしたかったのですが、
基本的には持ち込み禁止でした。
あと、住職の言葉を聞きながら、
心を落ち着かせて自分を見つめ直したり、考えたりする
時間がとてもよい時間になりました。
心を無にするってどういうこと
住職の言葉でとても印象に残っている言葉があります。
心を無にするとよく言いますが、
人間の心は常に揺れ動いているものです。
心を無にするのはとてもむずかしいです。
心は無にするのではなく、
頭によぎる物事や思いは、深く考えすぎずに受け流すようにしましょう
とおっしゃっていました。
どうしても人は、色々と考えてしまいがちです。
悩みや不安であれば尚の事。
考えれば考えるほど、ドツボのハマってしまうもの。
たまには何事も考えない、頭をリセットする時間も大事ということ
改めて考えされられました。
坐禅をするために必要なもの
いざ坐禅に参加しようと思っても何が必要なのかなと思う方もいらっしゃると思いますが、
今回に関しては、何もいりませんでした。
動きやすい格好だけを準備するだけでした。
作務衣はレンタルできるところもありました。
さいごに
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回は初めて坐禅「朝坐」に参加してみて、感じたことを記事にしてみました。
坐禅と聞くと、とても難しく、固く考えてしまったり、
敷居が高い印象があります。
ただ、こういった非日常の時間を体験することは
とても貴重な時間となりました。
一つ一つの所作、流れを教えてもらえたので
また行きたいなと思いました。
興味のある方はぜひ一度、体験してみることをおすすめします。
今回のブログも面白かった、ためになったという方はぜひ、シェアいただけると嬉しいです。
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